かわいいベイビー♬ ハイハイ
「オレ、中尾ミエと結婚したい!」
すべてはこの一言からはじまりました・・・

フジテレビ「その女、ジルバ」(毎週土曜23:40~)
チーママの衣装で!
20年ほど前、日曜日の夜中に NHKの「青春のポップス」という番組がありました。さまざまなゲスト歌手が順番に登場し、懐かしい洋楽を歌う番組でした。
あるときに歌手の中尾ミエさんが登場し、何の曲だったか思い出せないのですがその歌にものすごく感動させられ、それからこの番組にミエさんが登場するのがとても楽しみになったんです。ある時、ミエさんが歌っているのをテレビで見ながら隣にいる妻に「オレ、中尾ミエと結婚したい。」とつぶやきました。妻はあきれ顔で黙っていましたが、「こんなにオレを感動させてくれる人が一緒にいたら素晴らしいだろうな~」というただそれだけの意味の一言でした。
ある日、銀座で食事会の席で「どんな音楽が好きか?」という話題の中で、「この前、妻の前で中尾ミエと結婚したい!って言っちゃったんですよ~」と話したら「あら!私、ミエさんと知り合いなのよ!」という方がいたのです。
間もなく御本人にこの話が伝わり、中尾ミエさんが「面白いじゃない、会ってもいいわよ。」と・・・
私は渋谷のライブハウスに呼ばれ、まずはミエさんのお友達にご本人に会わせても大丈夫な男なのか調査を受けて厳しい検査をパスして控室の扉が開き、とうとう中尾ミエさんと対面しました。
大御所感半端じゃない!!

このときミエさん58歳
その数日後、みんなで食事に行って話は盛り上がり、1か月後にかやもり農園に行ってみようということになりました。
ところがそれから10日後、新潟県では中越地震が起こり、私の家は幸い大丈夫でしたが、家から1時間くらいの地域では震度7の揺れで甚大な被害を受けてしまいました。山が崩れライフラインも寸断されてしまい、村ごと全村避難をしなければいけないほどの状況でした。
こんな状況ではみんなで新潟へ来るって言っていたのはきっと中止だな。と、思っていたのですが、ミエさんは電話で「私を被災地へ連れて行って!」と言ってきました。
その時は上越新幹線が被災現場で脱線していて新幹線が使えなくなっていたので、私は東京まで車で迎えに行って新潟県中越地域へお連れしました。
避難所では各テレビ局の報道や取材の人がわんさかいて、わざわざメディアに告知して炊き出しをしに来る有名人や、酷いのは被災者を元気づけるためにと言ってカラオケを持って歌を唄いに来る人もいました。そんな中で、ミエさんはマスクをして帽子をかぶり姿を隠してメディアの目を避けながら避難所や被災現場を回りました。もちろん被災者の方々の前では顔を出してみなさんの話を伺いながら一緒に寄り添って涙を流していました。


何回か被災地へ足を運びながらミエさんが「私たちに何ができるかしらね?」と言ってきました。
私たちが主に顔を出させていただいていたのは長岡市の高校の体育館を利用した避難所でした。そこには全村避難していた山古志地区の集落の方々がいらっしゃいました。そこで、山古志の住民の9割以上は農業に携わっているんだから、農業収入に繋がる活動をしたらみなさんの役に立てるのではないかと思いました。
山古志ブランドの良質米を育ててみんなで宣伝をして、持続可能な販売システムづくりを企画したんです。
三人娘 登場!!



そのボランティア活動を始めたころに、ちょうど「スパーク3人娘」が40年ぶりの復活を果たし、伊東ゆかりさん、園まりさん、ミエさんの御三方がほかの芸能人も巻き込みながら山古志へ農作業のために足を運び、コンサートなどでお客様から復興のための義援金を募り、山古志の生産組合に預ける資金を十分に調達することができました。
パワーのある人が集まるとこんなことも実現するんだなと実感しました。


諸星君も手伝ってくれてます





中越地震の復興活動を続けて5年が経過して、山古志の土地も人も逞しく立派に復興した姿を見せてくれました。私たちは山古志の方々からもたくさんの学びを得ました。そして一生の友と呼べる存在も得ました。
その後も山古志には今でもたまに遊びに行ってお付き合いは続いていますよ。
